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2001・4・18号
放浪家族北海道編パート2

2000年9月 シャンバラ家北海道の旅の話.。
「今日どうする?布団で寝たい?どっかユースホステルでも泊まる?」
「ユース泊まると大体¥3000×3人で¥9000かぁ・・」
「キャンプにしよか?」
「どうする?子供の意見は?」
「キャンプがいい!」
「よし!決まりや」
とまたその日もキャンプな旅行である。
9月の北海道のキャンプ場はどこも 夏休みも終わり人影もまばら。
多くのキャンパーはオートバイで北海道をまわっているライダー達だ。
オレ達のように四輪駆動でもない
普通の乗用車でキャンプに来ている人は誰もいなかった。
キャンプの食事だってバーべキューとかではなく、
ご飯と味噌汁、サラダに刺身焼き魚ジャガイモバターカレーなど
普段とあまり変わらない。

昼間の移動で疲れ果て、
よるはご飯食べて焚き火して
酒飲んで(オレだけ)歌唄って(オレだけ)踊って(オレだけ) 眠る、
まさに流浪の民の理想生活であった。
こうして8日間の北海道の滞在のうち5日間キャンプして
ライダーハウスとユースホステル、ビジネスホテルに各1泊づつ泊まり
北海道を半分ぐるりと回ってまた船に乗り帰って来た。

北海道で思ったのは 「北海道にはドリカムが似合う」ということだった。
ラジオから時々流れてくる吉田美和の歌声はさわやかな北海道にピッタリだ。
北海道出身の歌手で思い出したが、
足寄という街を通った時のこと。
ここが松山千春の出身地であるのは知っていた。
街中を車で走っていると「千春の家→」という看板が出ていた。
最初は行こうとも思わず無視していたのだが
その看板があまりにしつこく「千春の家→」
街のどこにでもかかっているので「千春の家→」
「そんなら行ってみよか、折角来たんやし、話しのネタにでも。」
ということになり行ってみた。

実は20年前にも千春の家を訪れたことがある。
その時は松山千春の全盛期で
ガイドブックにまで載っている観光名所であった。
特にファンでもなかったが、ヒッチハイクの途中で降り立った
足寄の街の一番の観光地となっていたため
覗いてみたが、どうってことない普通の家であった。
特に感想もなかった。

矢印に従って進んで行くと
住宅街の中に
松山千春の顔が描かれている 5M×3M位のでっかい看板のある家があった。
しかもその看板が3枚もある。
それも髪の毛がふさふさしていた時のイラストである。
どうせなら今のスキンヘッドにサングラスの顔を載せて欲しいものである。
家も建て直して立派になっていた。
しかしファンがたむろしてる訳も無く、
僕ら以外に誰もいなかった。
もちろんその看板の前で記念写真を撮った。

松山千春も今は濃い顔になったが歌はさわやか系である。
北海道の歌手はさわやかな歌を歌いながら
自宅に自分の顔のでっかい看板を立てるのがステイタスなのだろうか、 と思った。
この分では、吉田美和の家なんてメリーゴーランドかなんかあって
その馬の首が吉田美和の顔でいっせいに唄いだしたりして。
想像してちょっとこわかった。
こうして千春の家はかなり話しのネタになった。

北の冷たい空気と荒涼たる大地は人を高倉健にさせる。
オレもかつては無口で孤独でロンリーな旅人だった。
そんな自分に酔いやすくなるのも北海道ならではでないだろうか。
ライダーにの中にはそんな「ひったっている」人も見受けられる。
オンネトーという美しい湖のほとりでキャンプしていた時のことだ。
1人のライダーが夕日の湖畔で三脚を立てて写真を撮っていた。
そばでオレたちは邪魔にならないようにしゃがんでなんとなく見ていた。
ファインダーをしばらく覗いていた彼はシャッターボタンを押すと おもむろに駆け出して
湖の岸辺で革ジャンひっかけポーズをとると、
カメラ目線にフラッシュが ピカ!
そばでぼくらは吹き出すのをこらえるのに必死だった。
頼んでくれればシャッターくらい押してあげるのに。
その夜、暗い森に哀愁のトランペットの音が流れた。
ライダーが吹くのだろうか。
湖、ライダー、哀愁のトランペット。
あまりにはまりすぎて オレとユキちゃんは爆笑した。