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2001・4・5 号
フリマ人生

オレはフリマーケット歴15年のベテランである。
裸一貫から商売をはじめていまや大富豪(うそ)となった。
それで今日は特別にオレの大富豪への第一歩である
フリーマーケット成功術を指南しようと思う。
これを読んだ諸君もオレを見習って、 大富豪の道を歩んでいただきたい。

さて時は1985年。
当時オレは真珠売りの好青年として
シンガポール・香港・バンコク・マレーシアを股にかけ
手広く商売をしていた社長の下でアルバイトをしていた。
この社長もハチャメチャなおっさんで
英語もろくに喋れないくせに いつも美少年の部下を従え、(オレじゃないよ)
欲と勘と運だけで商売をしていた。
そのころはアジアの経済成長真っ盛りなころで 日本からの真珠はよく売れた。
ところが社長の欲の皮が突っ張りすぎて
アメリカ進出を果たしたが、 大こけして
運にも勘にも見放され 社長の商売は風前のともし火であった。

必然的にオレたちも仕事に見放されかけていた。
しかしこのままおめおめと日本に帰っても何をする?
金ナシ職ナシやる気ナシの3拍子そろったオレに いい手立てもない。
しかも日本に定住するなんて当時のオレは真っ平であった。
旅行もできて金もできて楽もできて。
そんなうまい方法はない物か?
と、ない知恵しぼって考えたのが アジアの雑貨を日本で売る。 と言う商売だった。
そして真珠バイト仲間3人で 「カラバオ」と言う名前で商売を始めた。
「カラバオ」とは当時タイで大人気のロックバンドの名前から拝借した。

真珠屋の3年間で貯めた30万とあと30万借金をして
タイとバリをまわって商品とおぼしきものを買い集め 日本に送った。
最初に売りに行ったのが 伊勢から車で1時間の所にある国府の浜と言うビーチであった。
国府の浜はサーファーが集まるところで有名で、
きっとサーファーに売れるのではないか、 という目論見であった。
ビーチの駐車場のひとつを 1カ月契約の口約束で借りて出店した。
ところが毎日店の設営に汗だくになって3時間掛かり、 片付けるのに1時間半。
その割にはサーファーの兄ちゃん姉ちゃんは金を持っていない。
しかも海の近くとはいえやたらに暑い。
結局、店を出すというよりもよりも 海水浴と昼寝に来ているようなものであった。
こうして海の店1号店は2週間で疲れきってやめた。

次に行ったのは大阪のフリーマーケットであった。
仲間の一人が大阪に住んでいたので
彼のツテでいろいろなフリーマーケットに出店するようになった。
当時、エスニック雑貨はまだ珍しくライバルも少なくて けっこうな値段で売れておいしい商売であった。
それから15年・・・。 店舗も持った。 インターネットのお店も持った。
この世で手に入れられる富と財宝と名声は全く無縁だが、
気分的には大富豪になった(笑)
しかしいまだにフリーマーケットは行き続けている。
もちろん道楽や趣味なんかではない。
気分的には大富豪となった今でも 貴重な現金収入を得るために フリマ人生から足を洗えないでいる。
これもオレの無計画性と金銭感覚の欠如の賜物であろうか。
でもなんだか露天商な自分が 一番性にあっているような気がしないでもない。
寅さんのようにみんなに迷惑かけながら ぶらぶら生きてゆきたいものである。