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2001・3・29 号

ジョンの思い出

11年前、1990年にインドの山奥の村で ジョンにはじめて会った。
その頃は農家の牛小屋の二階に部屋を間借りしていて
オランダ人のポールというおっさんと
イギリス人のブライアンというにーちゃん(当時)と 3人で共同生活をしていた。
雨の多い寒いところで 夜は屋根かわらのすき間から星が見えた。
その部屋によく遊びに来ていたアメリカ人がジョンだった。
おとなしい青年(当時)という印象しかなくて あまり話をした記憶もないが、
それから1ヶ月後、偶然カトマンズで会って よく一緒にごはんを食べに行ったりした 。
その後1年くらい音沙汰も無くジョンのことも すっかり忘れかけていた時、

「大阪にいる」とはがきが来た。
立売堀のジョンのワンルームマンションをたずねた。
金ラメのモールで縁どられた世界地図がはってある
アメリカンテイストな部屋だった。
窓からは小さな空と巨大立体交差の高速道路とビルが見えた。
自然の物なんて街路樹が数本とジョンのベランダの鉢植えくらいだった。
「雄大な人工やなぁ。」と思った。

以来交流が始まり 大阪に行くとジョンの部屋に泊めてもらい、
ジョンも伊勢に年に1-2回やってきて
キャンプ行ったり山登りに行ったり離島に観光に行ったり 雄大な自然を満喫して遊んだ。
ジョンはそのころ、駅前留学でおなじみのNOVAの英語の先生をしていた。
「NOVAは休みが無い。NO VACATION」と英語のだじゃれでぼやいていた。
2年ほどたって日本からアメリカに里帰りして
ヨーロッパ・ロシア・モンゴル・中国を経由して 1年かけて日本に戻ってきた。
その後フリーランスの英語の先生として 大阪市内を自転車で活躍。
日本人と京都の日仏会館で結婚式をあげ、
谷町の3DK家賃13万のマンションに移った。
日本語も最初出来なかったのに
今では日本語で(もちろん漢字まじり) メールやはがきが来る。
ぼくももちろん日本語で出す。
めっちゃかしこいやん、って感心してしまう。
今ではロシア語だってできるぞ。
最初の頃はベジタリアンだったのに
今ではその片鱗も無い。肉タリアン。
相変わらず伊勢にも時々やってきて
バンクーバーのジョンのお母さんまで伊勢に来たり、
去年のシャンバラまつりの時もわざわざ来てくれた。
ぼくより6歳も年下なのに時々同級生か年上か?
と思ってしまうほど大人で物静かなジョンであった。
その反面くだらないアメリカンなギャグがサイコーだ。

そんなジョンが4月から奥さんを連れてハワイに移住することになった。
2年前遊びに行ったハワイのカウアイ島が気に入ったらしく、
去年の暮れ「ハワイに移住することになった」と突然言った。
奥さんもデザイン事務所をやめて マンションを引き払った。
最後にあげるものがあるから取りに来てくれ
といわれてもう何年かあえないだろうと思って、家族で会いに行った。
尺八やら分厚い英語図鑑やら両面テープやら ワイングラス、タイル、
ウルトラマンの人形、古いボールペン 染め粉、
ケーキの型、塩、お茶、洗剤その他 彼の思い出のぎっしり詰まった
お宝、またはほとんどリサイクル限りなくゴミに近いともいえるグッズの数々を頂戴した。
それでも尺八と英語図鑑とワイングラスだけ(!) はめちゃくちゃ嬉しかった。
残りの品々は恵まれないギターの先生に差し上げた。

最後に皆で大阪城に遊びに行き、
植木市でジョンはぼくらにやまぶきの苗をプレゼントしてくれた。
食事してお互いの幸運を祈りつつ別れた。
彼とはアメリカ人とかそういうの以前に
心許せる友達、伊勢地方で言う「連れ」という感覚で付き合えた。
何の気兼ねも無くお互いの家に泊まりっこ出来たし、
飛行機が遅れてついたり、朝早い便の時やフリーマーケットの時は
大阪のマンションによく泊めてもらったりした。
大阪の拠点を一つ失った、のは悲しいが
ハワイに知り合いがいる、なんてワクワクする。
人の出会いなんてどこでどうなるのか。
全く不思議なご縁だと思った。
やまぶきはまだ庭に植えていない。
彼が出発する4月1日に植えようかと思っている。