マラリア

寝苦しい夏の夜。
あのいやーな羽音とともに忍び寄る吸血鬼。
老若男女美醜を問わずその鮮血をすする。
ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜ん。
闇の中顔をピシャリ!
痛て!
自分のほっぺを叩いただけだった。
そしてまたまどろむ。
ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜ん。
ピシャリ!
痛て!
そういうのが2‐3回続き完全に目が覚め、
電気をつけると もう吸血鬼は闇の中に逃げ込んでいる。
あきらめてまた寝床につくと また・・・吸血鬼が・・・。
あーンもう!
地球温暖化が進むと今まで無縁だった熱帯性の伝染病が日本にまでやってくるのだそうだ。
マラリアもその一つである。
事実ヨーロッパのある国の空港周辺では マラリア患者が発生しているそうだ。
飛行機にまぎれて運ばれたマラリア蚊がそのまま 生き残ってしまっている、と新聞に書いてあった。

マラリアでは恐ろしい思い出がある。
十数年前のインド、カルカッタ。
僕はモダンロッジと言う安宿のドミトリーに泊っていた。
ドミトリーと言うのは 大広間にベッドを20台くらい置いてあり 雑魚寝状態で寝泊りする部屋である。
宿泊料も破格で一泊100円くらいだったと記憶している。
モダンロッジは旅行者専用のホテルで インド人の宿泊客はいなくて
泊っているのは欧米人と日本人ツーリストばかりだった。

何日も泊っていると次第にみんなと気心が知れて仲良くなる。
ロンドンの天然ボケパンク青年ジョン、
シドニーの悪がきデイブ、
英語の下手なドイツ人ディーター、
この3人は会話の端々に接頭語のごとく 4文字言葉FUCKをちりばめて話すので
おかげで僕の下手な英語が 下手で下品な英語になってしまった。
僕とディーターは英語に詰まるといつも叫んだ。
FUCKING ENGLISH!

2週間の滞在の間にいろんな旅行者が入れ替わり やって来て去っていった。
そんなある日、タナカさんはやってきた。
坊主頭でまじめそうな人だった。
小説を書いている。と言っていた。
彼が来て3日くらいたった時、 彼はこの暑いのにベッドの上で毛布にくるまり ガタガタ震えていた。
「どうしたんですか?」 不審に思って声をかけると、
「ときどきこうして熱が上がってきて震えてくるんですよ。」 という声まで震えている。
「それってもしかしてマラリアじゃないんですか?」
「大丈夫です。」
「大丈夫じゃないですよ。病院へ行きましょう。」

マラリアになると間欠熱と言って一日のうち 一定時間高熱が出てその後平熱に戻る、
それを繰り替えしながら死んでゆく、
かどうか知らないが
とりあえず熱が下がった所で人力車に乗って (カルカッタでは今でも人力車が走っている) 病院に連れて行った。
病気になっても絶対入院したくないような汚い病院だった。
壁にはパーンと言う噛みタバコの吐き捨てた赤いしみが そこら中ついている。
まさにFUCKING HOSPITALだ。
医者はろくに見もしないで吐き捨てるように言った。
「マラリアだ。」
「それだけかい?検査はしてくれないのか?」
「そんな必要はない。こいつはマラリア以外の何者でもない! ほら、これが処方箋だ。」
と言ってペンでメモ用紙に殴り書きをして投げてよこした。
薬局に行って大量に薬を買い、ホテルに戻った。

「どうだった?どうだった?」
皆も心配で僕らを見つけるなり口々に尋ねてきた。
心配なのは彼の病気と言うより自分たちにうつるかどうかである。
「個室に移ったらどうですか?ゆっくりできるし・・」 僕はタナカさんにそれとなく勧めてみた。
「いや、大丈夫です。」 彼は頑としてドミトリーを移ろうとしない。
ということはタナカさんの血を吸った蚊にさされると 間違いなくマラリアになると言うことだ。
「お前日本人だろ、何とかあいつを説得しろ!」 とデイブ達は言うのだが、
何度言っても彼は個室に移ろうとしなかった。

その日から日欧豪その他連合国のタナカ包囲網が始まった。
一人一つづつ蚊取り線香をタナカさんのベッドの周りに置いたのだ。
タナカさんのベッドの周りは 十数個の渦巻きで完全に包囲されていた。
そうして我々のドミトリーはもうもうと蚊取り線香の煙に包まれた。
2‐3日して僕はカルカッタを出た。
その後タナカさんはどうなったか知らない。
マラリアはクスリをのめば治る病気だからそれほど心配ないだろう。
でもドミトリーには泊らないでほしい。